日本人の食の変化〜戦後日本の食生活の変化について今一度考える
日本は昔から、水が豊かでお米がとれる、海藻や山菜がとれる、果物も木の実もとれる、根菜もとれる…本当に豊かな食材がある豊かな国です。戦前、世界中の人が食べているのに唯一日本人が食べていなかったのが小麦です。なぜかというと、小麦を育てるのに適している土地が、寒いところ、乾燥しているところ、雪や霜が発生しないところ、というお米を育てるのに適した土地と真逆の条件だからです。
戦後、急変した食生活
ところが戦後、お米に変わって突然パンが主食になりました。これは、日本が戦争に負けて食糧援助をGHQから受けることになったのが発端です。GHQは無償で小麦粉・大豆油・とうもろこしの粉、脱脂粉乳を日本に援助しました。小麦は、白米には入っていないビタミンBが入っているので頭が良くなる、とたくさん喧伝されました。GHQがキッチンカーで全国を巡って食事指導をして、日本中の主婦に揚げ物や炒め物やパンやホットケーキなどの調理法が広まりました。また、給食に脱脂粉乳を取り入れることで、牛乳を飲む習慣ができました。こんなふうにして、食生活がガラッと変わってしまったというわけです。
エクソルフィンの大爆発
小麦粉・大豆油・とうもろこしの粉には依存性が高いエクソルフィンという物質が含まれています。一度食べると、もっと食べたくなってしまいます。ポテトチップスが食べたら止まらなくなったり、ラーメンで替え玉をしたくなるのはエクソルフィンの効果です。このエクソルフィンは食べ始めて20〜25年体内蓄積すると、身体に影響が出て病気にかかったりするようになります。そのため、昭和50年代から戦前には聞いたこともなかったような病気にかかる人が増え始めました。言い換えれば、昭和50年台に、戦後ずっと日本人の体内に蓄積してきたエクソルフィンが大爆発したのです。戦前は、自己免疫疾患や癌にかかる人はほとんどいませんでした。花粉症にかかっている人もほんの僅かでした。
まとめ
今ご説明したような弊害が起きているにも関わらず、今現在も、戦後GHQによって持ち込まれた食生活を私たちは続けています。戦前に食べていたような食事に戻すと、現代病のような病気にはほとんどかからなくなります。今一度、食事とは何なのかを真摯に考えてみましょう。「美味しいからたべる」「甘いから食べる」ではなく、我々は食べ物の恵みに感謝して、食が信仰であったとうことを思い出すべきです。